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「きゃふんきゃふん」鳴く犬「きゃんきゃん」鳴く犬 「ゆるい」犬たち 日常を見つめ続ける仙厓さんだから描ける、象徴的な表現
僕は「ワンワン!」て鳴くけど、
「きゃふん きゃふん」は、話し言葉かも(笑)
ああ~そうかも、
自称アニマルコミュニケーターの私としては、理解できるな。
お腹で繋がれてるし「そこ違う」て、せつなさ訴えてる?(笑)
しゃべっているのかわからないけど、下向き加減だわね^^
「きゃふん きゃふん」独特の響きがあって、耳に残りますね。
さて、グッズが販売されてるくらい、人気の犬さん、
なぜ人気なのか、その理由を探りたいですね。
「きゃふんきゃふん」犬、お腹に紐。
丸いお腹には、考えものです。
だから、横を向いて嫌がっているのでしょうか。。
推測ですが、動物好きの仙厓さん、
野良の子犬を連れてきて、飼おうとしていたのでは?
まだ、お互いがなじめない様子。
精いっぱいの犬の抗議もかわいく思えたのではないでしょうか。
または、、、寝転がっているとしたら、⇐私の主張
伸びたお腹でも保てている紐なので、ゆるゆるなわけです。
それに、お腹の紐のカーブがまっすぐ過ぎませんかね?
だから、
仙厓さんを信じ切って、両手足を伸ばしてお休み中てことに。
そうなると、良い夢見てる笑顔に見えてきます^^
僕は、寝てると思う。寝言だから口ごもって「きゃふんきゃふん」なんだよ
なるほど!寝言説!
さらに可愛く見えてきました。 犬も寝言しゃべりますからね。
この推理、どう思われますか?
さて、次は、「きゃんきゃん」犬です。
この「きゃんきゃん」犬の絵も
「きゃふんきゃふん」犬の絵もそうですが、
パット見では、杭が地面から抜けているようにしか見えなかったのです。
実際、抜けている図として紹介されている文しか見たことありません。
しかし、よく見ると、杭を傾けることで、一点透視図法の効果になっていると思うのですよ。仙厓さんが、狙ったかどうかわかりませんけどね。
マンガの背景効果でおなじみの、放射状のパース線を感じませんか?奥行きを感じませんか?
強調したい部分は、犬と人との距離感。仔犬なのか、小型犬なのか不明ですが、人が見下ろして、犬が見上げて凝視しているのでしょう。お互い、何を考えているのか、伺っていますよ。
背中と後ろ足の線が太く、強調されていることから、小さくても、いっちょまえに踏ん張ってる様子に見えます。
絵をじっと見つめてみてください。
そう見えてきませんか~
「きゃんきゃん」と鳴いて、仙厓さんを呼んでいたのでしょうか。
実際に近づいてきた仙厓さんは、巨大。
犬が一瞬、緊張している、という場面、ではないでしょうか。
その一瞬に、お互いの心の会話が繰り広げられていて。
これは、後から紹介する絵「趙州狗子図(じょうしゅうくしず)」のテーマ「狗子佛性(くしぶっしょう)」に通ずる話で、「一般庶民に対して、禅問答を仕掛けている仙厓さん」の作品、実践版ではないでしょうか。
犬の絵を、ただ「かわいい」と感じることから始まり、
見詰めて、感じ取り、さらに、「この世界の法則とは」まで追求したがる人間の存在の意味を問う。絵は、その道具。
なぜなら、禅僧の絵師、仙厓さんだから、です。
ふっと、何かがわかる一瞬をも期待して、
心を揺さぶる絵を
描かれたのではないでしょうか。
そして、時を経てもなお乗っかかってしまっている現代人。
禅問答と自覚せずとも、ありがたいものを遺して下さいましたね。
感謝感謝です。
多くの人々に、気安く語り掛けることのできる「かわいい絵」
おそるべし。
参考メモ・・・こちらの解釈が一般的のようですが。。
「きゃふんきゃふん」犬の絵の杭の解釈について、出光美術館学芸員の八波浩一さんの言葉が会話形式で「クロワッサン オンライン」で紹介されていました。一部抜粋してご紹介します。
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「実はこの絵にも、禅の教えが込められています。子犬は紐につながれて身動きができないようですが、よく見ると杭は地面から外れているか、埋められているとしても少しだけです」
~中略~
「そこが仙厓さんが一番伝えたかったところだと思います。この犬は目的地に行こうと思えばすぐ行けるのに、動こうとしない。世の中のしがらみや既成概念に捉われて、ほんらいの自由を忘れて一歩を踏み出せない人間の姿を描いているとも解釈できます」
☆ゆるキャラの元祖? 仙厓さんを知っていますか。 | カルチャー | クロワッサン オンライン
禅の公案(禅僧に与えられる問題、課題、テーマ)なのね、「狗子佛性」
・・・・「犬にも仏性があるか、それともないか」
仙厓さんは、今では仏様の禅僧ですからね、
どう解釈しても、きっと、
『ほうほう』と言って笑ってくれるでしょう!
次は、
戌年(いぬどし)の画賛(絵の余白などに書き添えられた文章・詩句)が付いた犬図についてです。
「博多祝い歌」という歌があるのですね。
戌年(犬年)の年初に、かしこまった祝いの宴で、裃(かみしも)と袴(はかま)を身につけた男の人が、犬を携えたまま、大きな口を開けて歌っている様子らしい。(鼻と見る人もいるけれど、唄いの絵なので口と思われます。)
福々しい唄と、犬のふくよかさ。
いつどんな人のために描かれた絵なのでしょうか。
それがわかれば、深く意味を知ることができそうものなのですが。
他人事で深読みするとしたら、、、
お正月、博多祝い唄を神社に奉納した時の絵。
ふっくらとした犬は、白毛。
ご主人(神職役)も白いふっくらとした袴。
犬は、姿似ていて、意味を強調するお役目か?
メモ・・・
白犬は、古代から日本人に好まれ霊獣あるいは妖獣として位置づけられ、白犬をある種特別視する伝統がある。(谷口研語氏(『犬の日本史』PHP親書)
「白い犬」は、
年初には、とても縁起の良い相棒なんですね。
そして、思い浮かぶ言葉は、
「紺屋の白袴」(こんやのしろばかま)でしょうか。
紺屋の白袴(ことわざの意味:他人のことばかりをして、自分のことがままならない)
深読み⇒まずは自分のことをしっかりやる1年にいたしましょう。
さあ、どうでしょうか(笑)
それにしても、寄り添うワンコ、かわいいです。
博多祝い唄⇒博多祝い唄と博多手一本 | 山笠講座 | 博多祇園山笠目録 福岡の夏祭り山笠
次は、「趙州狗子図 (じょうしゅうくしず)」
「狗子佛性」にまつわる禅画です。
チョット、理解できない点があり、
個人の知識と、知恵に頼らざるを得ないです。
推察すると、仙厓さんがこの書画を相手に渡す時に、軽い禅問答などをして、相手に通じるように、考えを匂わせたのではないかと。
きっと、わかる相手かどうかで、描くことを決めたのでしょうね。
「画賛」
狗子佛性(くしぶっしょう)
莫道這無(これなしと、いうことなかれ)
風吹瀝々(かぜふくこと、れきれき)
東壁胡蘆(とうへきころ)
狗子佛性
莫道這無
※犬にも仏性があるかという問いに、無しと言うべきではない、のでは?という公案。
風吹瀝々
東壁胡蘆
※「禅宗の開祖、達磨(だるま。生没年不詳)がインドから中国に来て伝えようとしたことは何か」という問いに対し、「東の壁にヒョウタンを掛けてあるのが風に揺れている。ではそれはいつからあるのか」と趙州が聞き返したという公案を指している。
公案はその真実に触れるための道具です。修行者が固定観念を捨て、直感的な洞察を得るための手段として用いられます。禅の教えでは、言葉や論理を超えたところに真実があるとされています。(Aiによる回答)
趙州狗子図 仙厓義梵画 愛知県美術館所蔵
木村定三コレクション 紙本墨画 94.3×30.8cm
これは、添えられた画賛、公案の文字の意味が分からなければ、
深くは読み解けないでしょう。
二つの公案について描かれていることから、
テーマが2個で、わんちゃんも2匹!
どちらも、聖なる白犬!
そして、正面に趙州がいて、様子を見ている構図。
小さな小僧さんがいる。
「よく見ておきなさい。長く語り継がれるテーマなのじゃ。この小さい小僧が私、仙厓(禅僧あるいはこれからの人々)なのじゃ」と。
どうでしょうか。
仙厓さんの思いを勝手におもんばかってみました。
また、
そんな小難しい話と関係なく、無邪気に遊んでいるような
ワンちゃんたちの姿。
「邪気を払って、人生を味わいなさい」
・・・とも、聞こえてきそうです。
そうそう 仲良く遊んでいるだけで良いんだよ~~
確かに! 2匹の犬は、はしゃいでいるようにも見えますね。
上の犬は、笑顔。下の犬は、しっぽ振っている!
そんな状況があるだけで、うれしい気持ちが伝播してきます。
マンガのようなワンちゃん、
次は、さらにさらに!
参考メモ・・・二匹の犬が互いに背を向けるように描かれている。賛文のイザナギ神は、妻のイザナミ神との間に多くの子をもうけた。その経緯は『古事記』・『日本書紀』に詳しい。今では、ウナギでお馴染みの土用は、一年の内でもっとも暑く、人間なら精力を失う時期だ。しかし、神々はぬかりなく励むということか。卑猥に落ち入りがちな事を、神と犬とを結びつけてユー モラスに言ってのける。二匹の犬がすばやい筆致で無造作に描かれ、 仙厓画独特のおかしみが感じられる。(九州大学附属図書館 解説より)
「イザナギは、土用の期間(立秋前の暑い18日間)に、犬をご覧になった」?
これも、意図がわかりにくいですが、
いったい、誰に向けて描いたものでしょうか?
女性か、男性か。
若手か、老人か。
悩みを打ち明けた者か、ただの隣人か。
犬は、多産で安産の象徴なので、願をかけて、
「暑い夏でもよく励みなさい」と、励ましの書画であるなら、
まあ、どなたへ向けても、通じるといえば通じますか。。
それにしても、トカゲ説があるほど犬には、見えない手前の犬。
しっぽでも噛まれたのかな?
それほど大胆な筆づかい。
犬たちは、喧嘩のように激しくけん制し合っているのかもしれません。
仙厓は、「それも良し!」と伝えているのでしょうかね。
動画撮影のできない時代に、
筆1本で表す強烈な線ですね。
仙厓の略歴 軽妙酒脱な画風は、辛い時代があったからこそ?
仙厓さん、屈託のない素朴な筆跡、洒脱だといわれる画風、
どんな生い立ちや出来事があったんでしょう。
略歴
仙厓義梵(1750年~1837年)は、江戸時代中期の禅僧で、
今の岐阜県、貧しい農家の次男として生まれ、
11歳の時、地元の清泰寺で禅僧に。
19歳、32歳で諸国行脚の旅で修行。
熱心な修行を続けていたが、
貧農の出という理由や、師匠に思うように認められず、
自暴自棄な態度をとることがあった。
それまでの愛蔵書など燃やしてしまう、など。
若いときの苦悩が人一倍うかがい知れる。
東北地方、天明の飢饉、津軽の岩木山の噴火、浅間山の噴火があり、
行脚の行く先で、多くの死者が出た被災地の人々と交わった。
39歳、推挙されて23年間、福岡県博多にある聖福寺の住職を務め、
62歳、隠居するも、生涯博多で活躍。
絵は40代後半から描き始めたとみられ、
60歳頃から本腰を入れ、
88歳で遷化(せんげ:高僧が亡くなること)するまで、
人に頼まれ、たくさんの書画を描き残した。
4年後に、仁孝天皇から諡号(しごう、戒名)をもらった。
生前から「博多の仙厓さん」と親しまれ
禅僧としての功績を称えられた証。
熱心な修行をしていても、
長い間認められなかった体験や、
飢饉や被災で困窮している人々と接する体験などから、
自分の内面と深く向き合う成長の時期があったのだと思われます。
人生を重ねるごとに、達観した境地になっていったのでしょう。
そして、
もともと、対象を映し出す観察眼があり、
画才もあり、反骨精神もあったようす。
自由奔放な画風に変わったきっかけのエピソードもありました。
ゆるくて、かわいい、きゃふんきゃふん、きゃんきゃん、、、
いかがでしょう、犬の絵をみる感じ方が、
変わってきませんか。
犬だけじゃない!日本画好きが惹かれる仙厓の禅画は多種 そして技巧派?
これも仙厓作だそうで、もともとこんな感じの絵を描いていたのですね・・・
そして・・・
仙厓義梵の画風が変わったきっかけエピソード
文人画家の浦上春琴に絵を絶賛されました。しかし「雪舟のように画僧としてのみ歴史に名を残すのではないか」と言われたそうです。これを機に、自分の絵を破棄し、本格的な仏画ではなく、身近なもので仏法を説く軽妙洒脱でひょうひょうとした画風へ転じたということです。
ここから、3点をご紹介します。
天神図、白衣観音図は、洗練された的確な線で表し、衣服や背景などに濃淡をつけて、奥行きを出しています。特に、顔は、真意をとらえた表情で、細密過ぎず、親しみを覚える画風ですね。
円相図は、面白い仕掛けがあり、「こ」の字が書かれていません。そこに、他の3人の人物が、寄せ書きのように、画賛を書き加えてあるのです。どういった状況下で出来上がったのか、興味を引くところです。
ちなみに、仙厓の円相図では、円をお饅頭にたとえて、「これを食べてお茶をお飲みなさい」との問いかけが書かれているものが有名です。
仙厓の作品には、禅という仕掛けがあって、足を一歩踏み入れたら、どんどん引き込まれていく魅力がありますね。
天神図 99.4×28.6cm 絹本墨画
画賛
「流言千世 雷電干天 公之神徳 昭々百千年」
流言千世: 流言(うわさ)は千年にわたって伝わる。
雷電干天: 雷と電光が天を干す(照らす)。
公之神徳: 公(あなた)の神徳(神聖な徳)は、
昭々百千年: 百千年にわたって明らかである。
引用解説:「天神さま」こと菅原道真を描いた図。道真は藤原時平により左遷され、太宰府で没したが、怨霊となり、清涼殿に雷を落とすなど数々の災厄をもたらしたと伝えられる。やがて、北野・太宰府など各天満宮で祀られ、学業の神としての信仰を集めるようになった。仙厓は力の意ある筆致で道真を描き、その神徳をたたえる賛を記している。 (川上貴子 2008 第49回附属図書館貴重文物展観図録)
天神図 99.4×28.6cm 九州大学文学部蔵 福岡市美術館に寄託中
白衣観音図 49.0×28.2cm 絹本墨画
画賛「菩薩清涼月 遊於畢竟空 衆生心水浄 菩薩影現中」九州大学文学部蔵 福岡市美術館に寄託中
引用解説:白衣をまとった観世音菩薩が洞穴の中の岩上に座して瞑想にふけっている。そのかたわらには水瓶に挿した柳が置かれている。「白衣観音」は中世より多くの画人たちが手がけた画題であり、秀作も数多い。仙厓の仏画は初期の細筆白描風のものから、晩年には奔放な筆致へと変化した。本図は刷毛描のタッチを持つのびやかな画風を見せていて、仙厓の晩年の画境の冴えが窺える。 ( 川上貴子 2008 第49回附属図書館貴重文物展観図録)
円相図 43.2×56.2cm 紙本墨画
画賛 「 れくふて 茶のむされ 左筆」
画賛上 「れの字の上の この字大鼡く ひもち行けり 誰もこの字そへて よみてよ」
右上の画賛「碩鼡嚙空去何人 亦喰空」
右下の画賛「古人画餅飢を凌ずといふ仙厓ハこれくへといふ世人くふひとありや と思ひかたへにさし置て鼡ありてこれを喰むとしてたゝ このみをなめつる呵々」
引用解説:筆のかすれも気にとめず、いびつな形に描かれた円相。禅宗では、円相は悟りの境地や宇宙観を表す大切な図様である。しかし仙厓はそれを餅に見立て、そんなものは茶菓子にして食べてしまいなさいと言うのである。仙厓の悟りにとらわれない禅の精神の表れといえよう。しかしこの賛には、「これくふうて」の「こ」がない。他の3人の賛によれば、「こ」の字は大ネズミが食べてしまったという。 ( 川上貴子 2008 第49回附属図書館貴重文物展観図録)
【仙厓の作品所蔵の数ランキング ベスト5】 日本画好きが出会いたい 仙厓の絵に会うための 美術館情報
1 | 出光美術館 (東京都千代田区) | 約1000点 | 帝劇ビルの建替に伴い、2024年12月25日をもって長期休館中。 「指月布袋画賛」や「坐禅蛙画賛」などの 代表作が展示され、仙厓のユーモアあふれる禅画を 楽しむことができました。再開はHPにてお知らせ予定 |
2 | 永青文庫 (東京都文京区) | 100点以上 | 設立者である細川護立が集めたもので、 永青文庫の禅画コレクションの重要な柱と なっています。 定期的に展示会を開催しています |
3 | 福岡市美術館 (福岡県福岡市) | 55点 | 「小西コレクション」として所蔵しています |
4 | 関市武芸川ふるさと館(岐阜県関市) | 約50点 | 出生地である岐阜県関市にある資料館で、 彼の作品を中心に展示しています |
5 | 九州大学文学部 (福岡県福岡市) | 30点 | 「九州大学附属図書館所蔵資料のデジタル化画像については、一部を除き、事前の利用申請をすることなく、無償で、改変 ・商用利用も含めた自由な利用が可能です」とのことで、パブリックドメインが明示されていて親切です |
日本画ファンが好きな「きゃふんきゃふん」と鳴く犬 まとめ
いかがでしたか。
ゆるくてかわいい「きゃふんきゃふん」ワンちゃんたちですが、
なぜかわいく描いてもらったのか。。
仙厓の長い人生の中で、思うようにならなかったこと、
うれしいこと、様々な経験をしてきたからこそ、
年を重ねるほどに、無邪気な犬たちをいとおしく思えていたのかなと思います。
軽妙なタッチは、無邪気さそのものを表しているようですね。
また、絵だけではなく、
その時々に、皮肉や風刺、滑稽さをうたった狂歌も作っています。
才能あふれる仙厓さんの作品は、
そのユーモアと禅の教えを反映した独特のスタイルで、
生前から多くの人々に愛されていました。
個人蔵でもたくさんあるとのことなので、
個人蔵の作品も、美術館や展示会で公開されることがあります。
機会があればぜひご覧ください。
バラエティに富んだ仙厓さんの作品との出会いを
今後も楽しみにしていきたいと思います。
ご覧いただきありがとうございました。ではまた。
こんにちわ!
今回は、有名な仙厓(せんがい)さんのワンちゃん登場です。
ところで、犬って「きゃふんきゃふん」って鳴く?
クックドゥードゥルドゥー(鶏の鳴き声、欧米版)のような新鮮さを感じます。仙厓さん独特の聴覚なのか、江戸庶民、共通なのか(笑)