著者本人の説明文...明るく冷え切った元旦の空は、初春の装いを凝らした娘さんたちの羽子の音を気持ちよく響かせ、凧のうなりは、中天に聞こえて、すべて晴れやかなるお正月の気分を作る。文金の高島田も羽子を打つごとにゆったりと揺れる振袖も、ことごとく初春のよろこびたたえる以外の何物でもない
「美人画の描き方」伊東深水著 第2章 【人体の比例】
わ、何頭身かって話ですか。現状2頭身のぴーちゃんも学びたいです~
要約...(約5ページ分)人物画は、人体解剖学を理解し、人体の比例を理解しておくべきであり、自分は、七頭身で描き、絹本では七頭身半で描いている。また、男女差のある腰幅については、日本は、古来から、特に強調することなく、細い腰を美とされてきたようであるが、これからは、実態を理解したうえで表されることが望ましい。
原文では、章の最後に、女性の姿態の表現について、けっこう際どく言及されていて、ドキドキしました。私の要約に偏向があれば、すみません。
抜粋(なるべく原文通り書きますが、旧字体や、読みにくい部分は、ひらがな等に変えてあります。)
・あえて、美人画といわず、すべての人物画においては、人体の比例を一通り飲み込んでおくことが必要である。昔の浮世絵においては、その作家によってその表現する美人にいろいろの型があり、またそれによって身長や身体の比例も區ゝ(読み不明)であるが、今日では解剖学上の知識も一般人々の頭に入っているから、一通り芸術解剖学の知識は心得るべきである。私は、人体の全長を頭首の七倍くらいに扱っている。
・絹本の場合には、表層の折に絹が折に縮むのが普通だから、時には七倍半くらいに描くことがある。
・解剖学においても、頭首の七倍半をもってよく発達した人の身長とする。しかしこれは欧州人のことであり、ことに男子に適用するものであるが、今日に於いては我が国の婦人とてもドシドシ身長が伸びつつあるし、また芸術作品として、矮小な人物を描くことは感心しないから、七頭身くらいが調度良いかと考えるのである。
・身長各部の割合、ことに胴と脚との比較は、大体において女子は男子より稍(やや)短いといわれているが、それは一般の想像する程著しいものではないようである。
・女子は、男子に比して、肩幅との広さの比率が違う。(中略)女子は、著しく腰幅の広いことがわかる。(中略)この部分は、女子は往々にして肩幅を凌駕するものがある。このことは、欧州においては、女子の体姿を安定ならしめ、静的美を発する重要なる点とみられている。
・しかし、以上のことは、古来我が国の美人画にはほとんど表されていない。
・細腰を尚ぶ(たっとぶ)封建社会の思想は、絵画の上にも最もよく反映されて、浮世絵の美人画では、所詮「さわらば落ちん柳腰」なのである。けれども今日に於いては、昔のような解剖学を無視した奇形的な美人は決して描かるべきではないが、さりとて強いて臼のごとき太腰の美人もまた考えものであろう。
「美人画の描き方」伊東深水著 第2章より
著者本人説明文...澄み渡った青空には、スイスイと赤とんぼの群が飛んでゆく。野草のすべては秋の日差しに輝いて金色の諧調をかなでている。天地はまさに秋晴れである。
二人の麗人は、清澄なる秋の空気を呼吸しながら、フェルト草履を軽やかに運ぶ。朗らかにしかも優雅なる現代女性を描出するに絶好なるシーンではないか。
冒頭の「羽子の音」も「秋晴」も、すらっとしていて、七頭身になってますね~
ほんとだ。じゃ、深水先生がこの著作に参考としてあげている、江戸時代の浮世絵美人画を見てみたいな~。次の絵がそうなんだね。
すーっと引かれた線は、着物が伸びやかな感じで、
健康美なんかを感じられるね。
女性らしい体形を使って強調することもなく。
日本の美人って、こんなスタイルの良い、洗練されたイメージなんだね。
当時の日本女性が西欧風の足長だったとは思えないけど、
だからこそ、その理想像を描いたんじゃないかな。
文面には、最も写実的、、って。
浮世絵の中の型に従いつつも、
写実は大事っていう見方もきちんとあったんだね。
では、今回は、これまで。次は、指南書らしく、
画材などについて読み込んでいくよ。
いよいよ、美人画の描き方を 具体的に指南する章に入りますよ~
で、驚いたことに、その一番初めに取り上げる題材が 人体の比例
伊東深水先生が、一番に苦心した点なのでしょうか。